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「女は強くなった」「男は情け無い」

久しぶりにネタが思いついたので更新!
ご無沙汰しておりました

「女は強くなった」と、よく言われます
一方で「男は情けなくなった」と・・・

考えてみれば当たり前のことなのです
男性は小さい時から「男は弱い者(女の子)を守らなければならない」
と教えられています
それなのになぜ、女性を守る(結婚して養う)ことができなくなったのかと言うと
女性が守るべき「弱い者」でなくなったからです

一方で「女性は弱い」とも、よく言われます・・・これがすでに矛盾なのですが
そしてその「女性は弱い」と言うのは、まぎれもなく「女性」なのです
女性の口から「女性は弱いんだから、男性がしっかり守らなければダメでしょ」と
「強要」されてしまいます

また「強要」というものは読んで字の如く「強く要求する」のですから
「強く要求する」=「強く要求できる立場」、すなわち「強い」のです
そこで「男は弱い者を守らなければならない」という教え通りに
「弱い者」=「男性」、つまり「自分自身」を守ろうとします

実際の「本質」はどうかと言うと・・・
やはり、女性は「弱い者」であり、守らなければならないと思います
それも、女性自身が思っている以上に、女性は弱いのです

このブログでも「DV法」について批判し、なくすべきであると書きましたが
男性を萎縮させ、妻の奴隷化するという側面の他に
「真にDV被害に遭っている女性を助けることはできない」
という一面も存在するのです

DV法とは元々
「命の危険があると判断された家庭内暴力の救済処置」になります
ところが
夫からのDVにより、本当に「命の危険が晒されている」場合
誰に助けを求めることもできません
ヘタに助けを求め、それが夫にバレた場合、さらなる「報復」が待っているからです
また、そういう「DV行為」を行っている夫自身も、バレることを極端に恐れています
「病院へ行った」ただそれだけで
医者にDVの実情を話されたのではないかと思うため
病院へ行かせることすらもさせません
妻が何か能動的な行動に出た場合、必ず追求し、暴力を与えます
それを繰り返しているうちに、妻は一切の能動的な活動を自ら封じてしまいます
これが、女性自身すらも自覚していない、女性の本当の「弱さ」なのです

そういう「真にDV被害を受けている女性」を助けることもできず
何がDV法なのでしょうか?
本当に命の危険に晒され、自ら能動的な行動を封じている女性が
どうやって「女性センター」に相談しに行くのでしょうか?
中には勇気を振り絞って相談しに行く女性もいます
そういう女性は大変素晴らしいです

話を戻しましょう
かつては、女性もこの「女性の本当の弱さ」というものを自覚していたと思います
また、本当の意味での「男性に守ってもらう方法」も心得ていたと考えます
「女性は三歩下がって・・・」「三つ指立ててお出迎え」を代表に
おしとやかで慎ましい「大和撫子」であったのです

今ではほぼ死語と化した「大和撫子」ではありますが
男性が今でもよく「大和撫子がいい」と言うのは
女性が思うような「男性の身勝手・自分勝手」ではなく
「真に守りたいと思える女性像」であるからなのです

「女性は進化した!男性は遅れている!」と言われていますが
最近になって、ようやく男性も進化してきたのではないでしょうか?
最初は女性が強くなって戸惑っていた男性も「ならば別に守る必要ない」と
非婚の道へと「進化」してきている模様です

だがそれは、国として、またヒトという種として
存続できる「進化」かどうかは疑問に残ります

「日本であるために」
やはり、男性は強くなければなりません
一方で女性はやはり、本質的にはとても弱い存在であります

女性は、本来自分自身が持つ「弱さ」を自覚し
「三歩下がって・・・」「三つ指立ててお出迎え」とまでは言いませんが
男性が「真に守ってあげたいと思える女性像」を目指すべき

それが、今日本が抱えている「少子高齢化社会」に歯止めをかける
第一歩ではないでしょうか?
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「わたしはあなたの母親じゃない!」

「わたしはあなたの母親じゃない!」
結婚して、そういう女性も少なからずいるのではないでしょうか?
炊事洗濯掃除、旦那の身の回りの世話etc
まるで、夫の母親のように働かされる女性から飛び出す言葉です

しかしながら、この言葉にも矛盾があります
「わたしはあなたの母親じゃない!」と言うのなら
「俺はお前の父親じゃない!」と言うことも可能なはずです

本当に夫の稼ぎが少なく、妻も働かなければ成り立たない
という家庭を除き、ほとんどの家庭では、妻の稼ぎは
「非常時の蓄え」であるか「がんばった自分へのご褒美」である
もしくは、ペットなど厳密な意味では家族ではない
必ずしも必要ではない分野に関する出費である

それを踏まえた上で考えると
妻の稼ぎがあろうとなかろうと、一家を支えているのは夫一人
妻の父のように、一人で一家を支えているのである
自分自身は、夫の母の代役にはなりたくないことを主張しながら
夫には、自分自身の父の代役を務めさせている

本来、妻という「仕事」における責任感があれば
そのような言葉は出るはずもないのだが・・・
責任感のない証拠として
まるで父親に甘えるように、いやそれ以上に
高価な金品をねだる姿もまた見られる

「わたしはあなたの母親じゃない!」
これは、夫婦という関係、家族という関係においての
大いなる勘違いである

たとえ子供がなく、夫婦二人で暮らしていたとしても
それは立派な「家族」であり
「家族の母」ないし「家族の父」であるべき

「家族の多様化」とは言うが
夫婦共に自分のための稼ぎを自分で叩き出し
自分の身の回りは自分で全部やる・・・となれば
それはただの同居人であり
真に「家族の一体感」というものは決して生まれない

「日本であるために」
妻は、夫の母親ではなく、家族の母親である
夫は、妻の父親ではなく、家族の父親である

父親としての働き、母親としての働き
家族の多様化などと幻想を抱くことなく
これらの働きを、代々受け継いでいくべき

また、これらを代々受け継いできた時代こそが
真に男女平等であったと主張します

「恋愛至上主義」の弊害

結論から言うと
「恋愛」と「結婚」は違う
これは、特に女性には本質的によく理解し
本人は実践していることでしょう

若い頃はイケメンでトークが上手く、楽しい人と「恋愛」し
結婚を考える頃は、高収入や安定収入、誠実さを求める
中には、高収入や安定収入、誠実さのある男性と「結婚」し
イケメンでトークが上手い男性と「恋愛」する女性もいますが・・・
それは不倫と言うのですよ

おまけに、恋愛相手の子を妊娠し
結婚相手の子として認知させるという外道も存在します
結婚相手を「キモい」と言いながら・・・

「恋愛」と「結婚」の違いを理解せず
「恋愛」のまま結婚しても突っ走るのは、男性に多いと思われます
また、そのことも女性は熟知しており
男性の気持ちを逆手に取り、利用する

「恋愛至上主義」などと奇麗事を言い
男性の恋愛感情を逆手に取り、女性は自己の利益を追求します
「金の切れ目が縁の切れ目」とはよく言ったもので
何らかの理由で収入がなくなった時
お互い愛し合ったと思っていた女性にいとも簡単に別れられた
という話はよく聞きます

本当に愛し合っているのならば
愛した異性が窮地に陥った際、助け、支えるものです
それをしないのであれば、最初から愛などなかったのです

正直言いましょう
「結婚」に「愛」など不要です
妻の家事育児を筆頭に、親戚付き合いや地域社会への貢献など
これらに対する「対価」として「衣食住」を与える
つまり、結婚とはビジネスであり、契約である

女性が、より高収入でより安定した男性を求める現実
これこそが、女性にとって結婚とはビジネスである証拠であるが
契約については意識してか無意識か
「サルサパーティ」などと称して、平気で不倫・・・契約不履行をする

お互い「添い遂げる者は生涯一人」は
結婚における最低限の契約であるにも関わらず・・・である

結婚において、もはや「恋愛至上主義」に付き合う義理はない
「愛」などと称し、一方的に女性が男性から搾取するという図式
こんなものに付き合うことはない

結婚とは、ビジネスであり契約である

「日本であるために」
女性が男性を、高収入や安定性など、条件で選ぶのは必然
これはすなわち「お見合い」であり
そこに「愛」などという幻想が立ち入る隙間は存在しない

かつて、恋愛結婚よりお見合い結婚が当たり前だった時代
男性も、女性を条件で選んでいた
この関係の日本こそが、真に「男女平等」であったと主張します

「マザコン批判」の真実と矛盾

「親孝行」
それは、育ててくれた両親に対する感謝の気持ちであり
人としてあるべき姿である

しかし、男性による親孝行は、時として
「マザコン男」
という批判に形を変える

年老いた両親を引き取ることを「親孝行」とし
それを「マザコン男」と批判するならば
そこに「嫁-姑」の関係が同一家庭内に直接的に現れ
嫁は、姑から威圧的に指導されることを拒否していることである

さらに、その両親が「要介護」となった場合
介護することを拒否する意味でも「マザコン男」を批判する

しかしながら
果たして、マザコン批判をし
姑から威圧的に指導されることを拒否している女性は
いざ結婚して子供を生み、その子が男の子であった場合
また、男の子が成長し、社会に出て結婚したら・・・

自分自身が健在であれば、息子の嫁を指導したくなるであろうし
自分自身が要介護となれば、息子の嫁に介護してもらいたくなる

ここに「マザコン批判」
すなわち
姑から威圧的に指導されることに対する拒否と
姑の介護からの回避の大きな矛盾が生じている

さて
ここで見る限り、果たして「家庭」と言うものは
男性優位な社会であると言えるのだろうか?
実質的には、夫の母、つまり姑が権力を握っていると
言えるのではなかろうか?

そのため、嫁は姑に権力を握られ
圧迫した身を強いられることになるが
自分が子を生み、男の子であれば
将来、自分が息子の嫁を圧迫する立場に就くということである
つまり、将来的に自分が息子の家庭の実権を握ることになる

姑には権力を振りかざしてもらいたくないが
将来的に、姑として権力を振りかざしたい・・・というのは
女性の自分勝手な思いではなかろうか?

姑の介護はしたくないが
将来的に、息子夫婦に介護をしてもらいたい・・・というのは
女性の自分勝手な思いではなかろうか?

家庭において、嫁の立場は低い
しかし、姑の立場は絶大である
ここに、夫たる男性の立場は存在しない

社会での立場、権力を男性が持っていて
女性は立場の高低に関わらず
立場そのものが存在しなかったのと同じように
家庭での立場は、男性には存在しないのである

現在はどうだろうか?
社会においても、女性の社会進出という名目で立場が与えられ
アファーマティブアクションや女性管理職30%目標があるように
女性にも権力を持たせようという動きが活発である

一方で家庭では
元々男性には立場が存在しなかったところに
核家族化により立場が存在するようになり
DV防止法により、男性の立場が低くなっている・・・
などと生易しい問題ではなく、家庭における男性の人権は
無いものに等しいことになっている

果たしてこれが「男女平等」であろうか?

「日本であるために」
核家族化に歯止めをかけ
DV防止法を撤廃することで男性の人権を回復し
嫁-姑に家庭における立場を全面的に譲り
社会における男性の立場を全面的に確保する

これは、旧来の日本の社会と家庭の関係であり
この関係の日本こそが、真に「男女平等」であったと主張します

「自己実現、やりがい」 vs 「義務」

「女性の社会進出」
いい言葉です・・・少なくとも表面上は
しかし、その実態やその結果、今どういう社会になっているか

女性には、社会に出て働く「権利」が与えられました
今でも、働く女性、特に働く既婚女性が働く理由として
「自己実現」や「やりがい」というものがあります
つまり
「働きたいから働く」のです

前向きで、いい姿勢だと思いますが
その実、裏を返せば
「働きたくなくなったら働かない」
という主張も可能なのです

一方、男性はどうでしょうか?
ただひとつ
「働かなくてはいけないから働く」
これはすなわち、義務感をもって働いていることです。
働きたくなくても、今の職場で働きたくなくなっても
働き続けなければいけないのです

特に既婚男性であれば、家族を守るため
転職などはおいそれとできません
よりよい生活のために、より出世・昇給しなければなりませんし
収入がなくならないよう、解雇されないよう必死で働きます
逃げ道がないからです

女性の場合
特に出世しなくても、解雇されたとしても
独身であれば結婚、既婚であれば専業主婦という逃げ道が存在します。

このような意識の格差が生じている中
果たして、女性は男性と同じ生産能力を発揮できるのでしょうか?
決して、全ての女性が仕事を怠けているとは言いません
しかし、背水の陣で必死になって働いている男性に比べ
普通に働いている女性がかなうはずがありません

結果的に今の社会は
普通に働いている女性が、必死で働いている男性の足を引っ張り
ひとつの企業としての生産性を落としています

落ちた生産性の穴を埋めるべく、派遣などを使い人海戦術に出ています
同程度のプロジェクトを達成させるために必要な人員は
男性だけの時代よりも多くの人員が必要となり
一人当たりの賃金は、当時に比べ落ち込んでいます
男性一人の収入では、一家を支えることは難しい時代となりました

かつて、日本のお父さんたちが必死に働き、高度成長させてきました
キツイことを言うようですが
今現在でも、将来的にでも一家を支え、守るつもりがなければ
必死で働くつもりがなければ、社会に出ようなどと思わないでください

「日本であるために」
女性にはやらねばならないことがあります

男性は、社会の歯車です
かつて女性は、その歯車をスムーズに回す潤滑油でした

この関係の日本こそが、真に「男女平等」であったと主張します
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