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「イイ男」と「モテない男」の罠

これまで「日本であるために」という題目で
記事を書いてきましたが、多くの女性からしたら

「モテない男が吠えている」

という程度の認識ではないでしょうか?

その通りです
このような主張を持っている私はモテません
では、このような主張を持っていると
なぜモテないか?というのを考察します

一言で言えば
「女性の言うなりにならない男性」
です

現代の恋愛や結婚において
「男性側が歩み寄る」と言うのが一般的です
この一般論から外れた私はモテません

逆に「イイ男」というのはどんな男か
「モテない男」の逆で、女性に歩み寄る男性になります
つまり

・トークが上手く、女性を楽しませることができる
・レディファーストを心がけ、威圧的にならない
・女性の都合に合わせてくれる
・男性の都合を主張しない、合わさせようとしない
・愛情を注いでくれる
・愛情を要求しない

などなど・・・
これでもまだ一部で、挙げればキリがないと思います

イイ男の要素を並べましたが、これらはつまり
「女性にとって都合のイイ男」に他ならないのです
これらの要素を持たない男性が「モテない男」となり
「女性にとって都合の悪い男」になるのです

私自身は「イイ男」の真実を知ってしまったが故に
一方的に「女性にとって都合のイイ男」になることなど御免で
男性としての本分、つまり

・一家を支え、生活が成り立つだけの収入を得ること
・結婚したら生涯添い遂げる者は一人であること

これらを目標にしています
一方で、女性に対する要求は

・一家を守り、繁栄させる気概のある女性
・結婚したら生涯添い遂げる者は一人であること

・・・と、これだけです

男女共に、これだけの要素があればいいはずです
これこそが「男女共に歩み寄る」の根幹となるものです

「モテない男」?結構です
モテる必要など、どこにもありません
女性に媚びる必要など、全くないのです

「我が道を往く」
これこそが、男の男たる所以です
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「恋愛至上主義」の弊害

結論から言うと
「恋愛」と「結婚」は違う
これは、特に女性には本質的によく理解し
本人は実践していることでしょう

若い頃はイケメンでトークが上手く、楽しい人と「恋愛」し
結婚を考える頃は、高収入や安定収入、誠実さを求める
中には、高収入や安定収入、誠実さのある男性と「結婚」し
イケメンでトークが上手い男性と「恋愛」する女性もいますが・・・
それは不倫と言うのですよ

おまけに、恋愛相手の子を妊娠し
結婚相手の子として認知させるという外道も存在します
結婚相手を「キモい」と言いながら・・・

「恋愛」と「結婚」の違いを理解せず
「恋愛」のまま結婚しても突っ走るのは、男性に多いと思われます
また、そのことも女性は熟知しており
男性の気持ちを逆手に取り、利用する

「恋愛至上主義」などと奇麗事を言い
男性の恋愛感情を逆手に取り、女性は自己の利益を追求します
「金の切れ目が縁の切れ目」とはよく言ったもので
何らかの理由で収入がなくなった時
お互い愛し合ったと思っていた女性にいとも簡単に別れられた
という話はよく聞きます

本当に愛し合っているのならば
愛した異性が窮地に陥った際、助け、支えるものです
それをしないのであれば、最初から愛などなかったのです

正直言いましょう
「結婚」に「愛」など不要です
妻の家事育児を筆頭に、親戚付き合いや地域社会への貢献など
これらに対する「対価」として「衣食住」を与える
つまり、結婚とはビジネスであり、契約である

女性が、より高収入でより安定した男性を求める現実
これこそが、女性にとって結婚とはビジネスである証拠であるが
契約については意識してか無意識か
「サルサパーティ」などと称して、平気で不倫・・・契約不履行をする

お互い「添い遂げる者は生涯一人」は
結婚における最低限の契約であるにも関わらず・・・である

結婚において、もはや「恋愛至上主義」に付き合う義理はない
「愛」などと称し、一方的に女性が男性から搾取するという図式
こんなものに付き合うことはない

結婚とは、ビジネスであり契約である

「日本であるために」
女性が男性を、高収入や安定性など、条件で選ぶのは必然
これはすなわち「お見合い」であり
そこに「愛」などという幻想が立ち入る隙間は存在しない

かつて、恋愛結婚よりお見合い結婚が当たり前だった時代
男性も、女性を条件で選んでいた
この関係の日本こそが、真に「男女平等」であったと主張します

「マザコン批判」の真実と矛盾

「親孝行」
それは、育ててくれた両親に対する感謝の気持ちであり
人としてあるべき姿である

しかし、男性による親孝行は、時として
「マザコン男」
という批判に形を変える

年老いた両親を引き取ることを「親孝行」とし
それを「マザコン男」と批判するならば
そこに「嫁-姑」の関係が同一家庭内に直接的に現れ
嫁は、姑から威圧的に指導されることを拒否していることである

さらに、その両親が「要介護」となった場合
介護することを拒否する意味でも「マザコン男」を批判する

しかしながら
果たして、マザコン批判をし
姑から威圧的に指導されることを拒否している女性は
いざ結婚して子供を生み、その子が男の子であった場合
また、男の子が成長し、社会に出て結婚したら・・・

自分自身が健在であれば、息子の嫁を指導したくなるであろうし
自分自身が要介護となれば、息子の嫁に介護してもらいたくなる

ここに「マザコン批判」
すなわち
姑から威圧的に指導されることに対する拒否と
姑の介護からの回避の大きな矛盾が生じている

さて
ここで見る限り、果たして「家庭」と言うものは
男性優位な社会であると言えるのだろうか?
実質的には、夫の母、つまり姑が権力を握っていると
言えるのではなかろうか?

そのため、嫁は姑に権力を握られ
圧迫した身を強いられることになるが
自分が子を生み、男の子であれば
将来、自分が息子の嫁を圧迫する立場に就くということである
つまり、将来的に自分が息子の家庭の実権を握ることになる

姑には権力を振りかざしてもらいたくないが
将来的に、姑として権力を振りかざしたい・・・というのは
女性の自分勝手な思いではなかろうか?

姑の介護はしたくないが
将来的に、息子夫婦に介護をしてもらいたい・・・というのは
女性の自分勝手な思いではなかろうか?

家庭において、嫁の立場は低い
しかし、姑の立場は絶大である
ここに、夫たる男性の立場は存在しない

社会での立場、権力を男性が持っていて
女性は立場の高低に関わらず
立場そのものが存在しなかったのと同じように
家庭での立場は、男性には存在しないのである

現在はどうだろうか?
社会においても、女性の社会進出という名目で立場が与えられ
アファーマティブアクションや女性管理職30%目標があるように
女性にも権力を持たせようという動きが活発である

一方で家庭では
元々男性には立場が存在しなかったところに
核家族化により立場が存在するようになり
DV防止法により、男性の立場が低くなっている・・・
などと生易しい問題ではなく、家庭における男性の人権は
無いものに等しいことになっている

果たしてこれが「男女平等」であろうか?

「日本であるために」
核家族化に歯止めをかけ
DV防止法を撤廃することで男性の人権を回復し
嫁-姑に家庭における立場を全面的に譲り
社会における男性の立場を全面的に確保する

これは、旧来の日本の社会と家庭の関係であり
この関係の日本こそが、真に「男女平等」であったと主張します

「自己実現、やりがい」 vs 「義務」

「女性の社会進出」
いい言葉です・・・少なくとも表面上は
しかし、その実態やその結果、今どういう社会になっているか

女性には、社会に出て働く「権利」が与えられました
今でも、働く女性、特に働く既婚女性が働く理由として
「自己実現」や「やりがい」というものがあります
つまり
「働きたいから働く」のです

前向きで、いい姿勢だと思いますが
その実、裏を返せば
「働きたくなくなったら働かない」
という主張も可能なのです

一方、男性はどうでしょうか?
ただひとつ
「働かなくてはいけないから働く」
これはすなわち、義務感をもって働いていることです。
働きたくなくても、今の職場で働きたくなくなっても
働き続けなければいけないのです

特に既婚男性であれば、家族を守るため
転職などはおいそれとできません
よりよい生活のために、より出世・昇給しなければなりませんし
収入がなくならないよう、解雇されないよう必死で働きます
逃げ道がないからです

女性の場合
特に出世しなくても、解雇されたとしても
独身であれば結婚、既婚であれば専業主婦という逃げ道が存在します。

このような意識の格差が生じている中
果たして、女性は男性と同じ生産能力を発揮できるのでしょうか?
決して、全ての女性が仕事を怠けているとは言いません
しかし、背水の陣で必死になって働いている男性に比べ
普通に働いている女性がかなうはずがありません

結果的に今の社会は
普通に働いている女性が、必死で働いている男性の足を引っ張り
ひとつの企業としての生産性を落としています

落ちた生産性の穴を埋めるべく、派遣などを使い人海戦術に出ています
同程度のプロジェクトを達成させるために必要な人員は
男性だけの時代よりも多くの人員が必要となり
一人当たりの賃金は、当時に比べ落ち込んでいます
男性一人の収入では、一家を支えることは難しい時代となりました

かつて、日本のお父さんたちが必死に働き、高度成長させてきました
キツイことを言うようですが
今現在でも、将来的にでも一家を支え、守るつもりがなければ
必死で働くつもりがなければ、社会に出ようなどと思わないでください

「日本であるために」
女性にはやらねばならないことがあります

男性は、社会の歯車です
かつて女性は、その歯車をスムーズに回す潤滑油でした

この関係の日本こそが、真に「男女平等」であったと主張します

女性差別と言われた「男は外で、女は家庭で」

さて
フェミニストが言う「女性差別」
まず、果たしてこれが不当な「差別」であったのか?
という根本的な疑問を考察します

そのひとつ
「男は外で働き、女は家を守る」
フェミニストが言うには、簡単に言ってしまえば
「女を家庭に縛るな!女も社会に出させろ!」である

隣の芝生は青い・・・とでもいいましょうか
女から見ればそうだったのかもしれませんが
男から見れば
「社会に縛られず、子供と共にいたい、自分の裁量で家事という仕事をしたい」
という思いも、無きにしも非ず・・・だったでしょう

現に、女性の社会進出が盛んになり、主婦か共働きかを選べる立場に女性が立った後
男性側からも、上記の思いを声に出す人も現れています
しかし、現実にはそれは叶わず、男性は今でも社会に縛られ、働くしか道がありません。

社会に縛られ、働くしか道のない男性と
家庭に縛られ、家事・育児・介護しか道のなかった、かつての女性と
一体何が違って、何が女性差別なのでしょうか?

現在はどうでしょうか?
社会に縛られ、働くしか道がなく、かつ家事・育児をも手伝うことを是とする男性と
家庭に縛られず、社会に出ることもでき、社会にも縛られない女性

これが果たして「男女平等」でしょうか?
これでもまだ「女性差別」でしょうか?

「日本であるために」
・社会に縛られ、働くしか道のない男性と
・家庭に縛られ、家事・育児・介護しか道のない女性

この時代、この関係の日本こそが、真に「男女平等」であったと主張します

日本であるために

現在、国際化と称し様々な文化が日本にもたらされました
しかし、果たしてその全てが「善いもの」であったでしょうか?

海外から取り入れた「悪しき文化」色々あるでしょうが
その最たるものとして、私は「フェミニズム」を挙げます

このブログでは
その「悪しき文化」たる「フェミニズム」によって破壊された
現状の男女関係、家族、社会を考え
日本が「日本であるために」どのように解決していくべきか
考察していきます
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